ご挨拶


 ヒトの脳を三つの層に分けて考えることがあります。脳幹-間脳(視床、視床下部)-基底核系、大脳辺縁系、大脳皮質の3つです。脳幹-間脳-基底核系では呼吸、循環、生体時計を含む自律神経活動等、基本的な「いのち」の維持を担っています。
脳幹-間脳-基底核系は生きる脳です。その上層である大脳辺縁系は、食欲、性欲、情動と関連し、「気持ち」を担っているといえるでしょう。大脳辺縁系は感じる脳です。大脳辺縁系の上層には、企画や創造を担う大脳皮質があり、この構造はヒトで高度に発達しています。「人智」の源と言えるでしょう。大脳皮質は考える脳です。つまり、脳幹-間脳-基底核系、大脳辺縁系、大脳皮質は、生きる脳、感じる脳、考える脳、であり、いのちの脳、気持ちの脳、人智の脳、なのです。

 世の中では生体時計に都合の悪いことがそうとは気づかれぬままたくさん行われています。夜スペ、24時間テレビ、サマータイム等々。このようなことを考え付くのはもちろん人間です。このような思い付きはふつう「工夫」と呼ばれて尊重されます。工夫は脳、先の3層構造では大脳皮質、なかでも前頭葉が作り出したものです。前頭葉は脳幹-間脳-基底核系や大脳辺縁系があって初めてありえるわけで、当然脳幹-間脳-基底核系や大脳辺縁系に不都合なことは「工夫」できないのが道理です。ところが前頭葉(人智-考える)が自信を持ちすぎ、脳幹-間脳-基底核系(いのちー生きる)や大脳辺縁系(気持ち-感じる)を無視した「工夫」を次々に出し始めた、というのが現状なのではないでしょうか。地球システムに必ずしも適切ではなくなってしまった人間の存在と似ています。

 私は生体時計を含む脳幹-間脳-基底核系をもっと尊重する必要があると考えています。前頭葉を尊重しないではありませんが、脳幹-間脳-基底核系や大脳辺縁系なくして前頭葉は存在し得ないのだ、と言う当たり前の大原則を確認する必要があるのではないかと感じているからです。いのちや気持ち、生きるや感じるを大切にしてこその人智、考えるといえるのではないでしょうか。それが「生体時計を考慮した生き方」の提唱です。
 前頭葉(人智)を駆使して提案された「工夫」は、脳幹-間脳-基底核系(いのち)や大脳辺縁系(気持ち)のレベルで、検証されて初めて実現可能となるのです。難しいことではありません。ただもう少し五感を磨き、もう少しだけ、自分の身体の声に耳を傾ける、という習慣に立ち返ることが必要だと思います。これが脳幹-間脳-基底核系(いのち)や大脳辺縁系(気持ち)を大切にすることに直結します。人智を軽視するわけではありませんが、もう少し自分たちの存在の基本であるいのちや気持ち、生きる感じる、を尊重していただきたい、と思うのです。前頭葉(人智)の暴走を許しては生きていけません。前頭葉(人智)の暴走を許しては、社会そのものの存在が脅かされてしまう危険もあるのではないでしょうか。ヒトはあくまで周期24時間の地球で生かされている動物なのです。
 ヒトの身体こそ大いなる自然であるにもかかわらず、あまりにこの大切な自然を無視することが公然と行われすぎている、と感じます。是非とも「生体時計を考慮した生き方」や「自分の身体の声に耳を傾ける」ことを、今一度思い返してください。そのことが結局は一人一人の充実した「生」につながるのだと思います。そして「生」のなかには、私の大好きな「眠り」も含まれている、というわけです。